自分の人生を支配している「思い込み」 ⑧ ~思い込みを作る4つの原因~
就労移行支援事業所 リスタート では、毎週金曜日に自己分析講座をやっています。
自己分析講座では、「自分を知り、人に説明できるようになること」と、「自分で自分にかけてしまっている『制限』に気づき、苦手を克服すること」の2点を軸に分析を進めています。
ここでは、自分について知り、『制限』から抜け出すために、「思い込み」というものについて考えていきたいと思います。
思い込みを作る4つの原因
これまでの記事で、自分自身や社会を形成していることの大半が実は「思い込み」であると紹介してきました。
今回からは、これらの思い込みがどのように形成されているのかを考えていきたいと思います。
第一段階として、思い込みを作る原因となっている4つの要素を紹介したいと思います。
家族
思い込みの形成の中で、最も大きな影響を持つのは家族の存在です。
なぜなら、コミュニケーションの取り方や社会での過ごし方、ルールやマナーというものを最初に学ぶのは、家族、特に両親からであると言えるのです。
例えばまだ幼い頃、厳格な親に厳しく育てられた子供はルールなどをしっかり守るようになる一方で、あまり融通が利かなくなるかもしれません。
一方、奔放な親であったなら、あまりルールなどに縛られることがなく、トラブルになることもあれど柔軟に対応できるようになるかもしれません。
親が子にどのように接し、伝えるのが正解かということに、恐らく答えはないでしょう。
しかし、子どもは親の持っている”ルール”に従い成長するため、親が良いと思っているものを良いと、悪いと思っているものを悪いとして考えが作られていくのです。
成長していくにつれ、家庭の中では常識であったことが他所ではそうではないと知ることもありますし、親の考えがすべてではなく、世の中には多様な価値観があると知っていきます。
それでもやはり、今の自分の考え方、生き方の大本を作ったのは家族の存在であり、多くの「思い込み」を形成しているのです。
教育
日本では、「学歴」が高いことや、「偏差値の高い学校で教育を受ける」ことが望ましいという考えが強くあります。
また、小学校では、「挨拶ははきはきと」「廊下は走らない」「目上の人には礼儀正しく」など、集団の中で生活するための多くのルールを学びます。
実は、これらもすべて「思い込み」です。
こうするのが”正しい”のだ、という基準を共有して教えているだけであり、必ずしもそれらが”正しい”という保証があるわけではないのです。
実際のところ、学歴が高いほど仕事で活躍しているというわけでも、いい学校を出れば必ず幸せな人生を歩んでいるというわけでもありません。
社会に出てから必要とされるスキルと、大学のための受験勉強は別物じゃないか、と疑問に思ったことがある人も多いのではないでしょうか。
しかし一方で、これらの「思い込み」が間違っているもの、悪いものだと言っているわけではありません。
こういった行いは正しい、こういった行いは正しくないといった基準がなければ、集団での生活は送れないでしょう。
また、偏差値の高い学校を目指すことで、その先の選択肢が広がり、より自分のやりたいことをやりやすくなるといった側面もまたあると思います。
会社
幼少期に親から学び、その後小、中、高、そして大学といったように学びを繰り返す中で「思い込み」が作られ、考え方が決まってきました。
次に待つのは就職すること。
そう、会社や職業といったものも、様々な思い込みを作ります。
そもそも、これまでの記事でも紹介してきた通り、「経済的・物質的な豊かさが幸せを作る」という考え自体が「思い込み」です。
無論、それらによって得られる幸せもありますが、一方でそれは幸せのための絶対の条件ではないですし、豊かではあるが不幸せ、という人も世界には多くいるでしょう。
飲み会や接待、出世や会社を第一に考える社員が年々減ってきているのも、それらの概念が思い込みであった証拠と言えるかもしれません。
また、自分のいる業界では常識として行ってきたことが、他の業界からしてみればあり得ないことだった、なんて経験がある方もいるのではないでしょうか。
このように、自分の所属する会社や職業といったものも、思い込みに大きく影響しています。
社会常識
社会常識という言葉が示すものは、実のところ”自分の所属する”社会の常識です。
実は、”常識”というのは、国や地域、時代によって大きく異なっているのです。
馴染み深い例で言えば、日本とアメリカでは、服や食べ物などのサイズの概念が大きく違う、ということは知っている人が多いのではないでしょうか。
日本人が、食べきれると思ってLサイズを頼んだら、日本ではなかなか見ないようなサイズが出てきて残してしまった、なんて笑い話もありますね。
そこに住まう人の生活習慣や体質の違いにより、同じ”常識”が通用しなくなるのです。
また、日本に住んでいれば当たり前に感じることですが、「ほぼ同じ民族しか住んでおらず、言葉も通じる」「特定の宗教を信仰していない人が多数」であることから作られた”常識”は、多くの国では特異に映るのではないでしょうか。
同じ日本であっても、今現在は転職活動をする人が多くいますが、終身雇用が基本であった頃の日本であれば考えられないことだったでしょう。
このように、社会での常識は「その社会で生きやすくするための考え方」であって、「どこでも通じる絶対の正解」ではないのです。
思い込みであると自覚する
繰り返しになりますが思い込みとは「信じてはいけないもの」や「間違っているもの」という意味ではありません。
多くの人が関わって生きていく中で、様々な判断をするために必要なものです。
そのため、思い込みだから従わないようにしなければいけない、ということではないのです。
重要なのは、自分自身がその思い込みに縛られ、苦しんでしまっている場合です。
生きていくうえで、周囲と不和を招いたり、ネガティブな気持ちの原因となるような考え方については、それが思い込みであると自覚することで別の行動をとることができるようになり、楽になるはずです。