不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その40 比較のもとになっているもの~

他人と比べて不幸せ・・・そんな人が楽になるために

芸能人、同僚、いろんな人を見て、羨ましいって思うことはあるよね。
うんうん。
リス太君も、いろんなことを知っててすごいなぁと思うよ。
ふふ、ありがとう。
この「羨ましい」気持ち、「持っている人」はすごくて、自分にはできない、と比較しちゃってない?
  • 勉強ができる人は羨ましい。
  • 芸能人は羨ましい、生きていて楽しいだろうな。
  • 趣味で生きている人が羨ましい、自分はそうなることはできない。

他人の顔色を気にすることと、他人と比べること

他者と自分の比較は「争い」を生む

  • 周囲に望まれる自分にならなくては。
  • 周りと違うことをすると「落ちこぼれ」「仲間はずれ」にされてしまう。

こんな風に他人の顔色を気にしたり、世間の常識「こうすべき」にとらわれているひとは、他者と自分を比較しています。

  • あの人は頭がいい、でも私は頭がよくない。
  • あの人はできるからすごい、でも私はできないからダメだ。

そして、この他者と比較をすることは、実は知らぬ間に争いに発展しています。

  • あの人は自由にしているのに、私は自由にできない。妬ましい。
  • 私は弱いが、あの人よりはマシだ。

自分でも無意識のうちに一方的に他者との争いを開始し、「勝たなくては」「認めてもらわなくては」と自分を縛り付けます。

エネルギーにもなりうる「比較」

もちろん、他人との比較全てが悪いというものでもありません。

  • あの人はすごい、ああなりたいから私も努力しよう。
  • あの人のように出来るようになりたい、だから私もこのことから始めよう。

このように自分の目標になったり、目標を目指すためのエネルギーになることももちろんあるのです。

自分を貶めるものではなく、他人を貶めるものでもなく、自分の励みになるのであれば、その比較はあってもよいものです。

しかし、比較をしてしまうクセがついてしまうと、結果として自分を苦しめることになるでしょう。

他人と比べるクセは、なくならない

あの人はすごい、でも自分は・・・と比較し競っていると、どんどん他人の目を気にするようになります。

自分はできないからこうすべき・・・と他人の目を気にした行動をとるようになり、またさらに比較が続いていきます。

比較をする癖がついている人は、いつでも優劣や大小を競ってしまいます。

学校のこと、仕事のこと、生活のこと、何でも無限に競い、どこでも争いをしています。

たとえば、成績がよくいい高校へ進んだとしても、高校では自分より成績がいい人がたくさんいます。

大学へ進学しても、大学の成績だけでなくレベル、今度は就職先の知名度・・・

周囲と比べる癖は、いつまでもなくならず、どこにいても、何をするにしても、むしろ競い続けてしまいます。

さらに競うための材料も、身の回りのもの全て。

学力でも仕事の成果、給与でも、住んでいる地域、趣味・・・何においても競っては自分を苦しめてしまうのです。

優劣感、という比較

もちろん、「あの人よりもできる」という優劣感を求める比較もあるでしょう。

自分からみて羨ましいと思う人とばかり比べていては、自分が見劣りして辛くなります。

だから、比較をして劣等感を感じやすい人は、同じように優劣感を感じるための比較もします。

自分の比較によって傷ついた自尊心を、自分より劣っている相手と比較することで取り戻そうとします。

こうして自分や他人をはかるものさしがどんどんいびつな「優劣」という評価になっていきます。

学校とかだと成績表が重要視されてたかも・・・
でも成績表だけじゃ、その人の人となりはわからないよね。
うん、人柄とかって大事なことだと思うし、自己肯定感とかにもつながると思うんだけど・・・
そういう数値だけの評価に、自分たちも頼ってしまっているし、それをおかしいって思うのは正しいことだと思うよ。

 

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