リス太と学ぶ認知行動療法 ~条件付きの自尊感情~

前回までの「リス太と学ぶ認知行動療法」はこちらから

さて、前回の最後に出した宿題は覚えているかな?
うん!満足度予想表だよね!
それじゃあ早速、K君の満足度予想表を見てみよう!

 

活動の内容 一緒に行う人 予想される満足度 実際の満足度
テレビを見る 自分と 70% 50%
映画に行く 友人と 70% 80%
机の上を整理する 自分と 30% 60%
ジョギングに行く 自分と 50% 70%

 

こんな感じになったよ!
満足度予想表を作ってみて、どうだった?
テレビを見るような、普段からやっているようなことが、意外とやりがいを感じなかったんだ。
その一方で、ジョギングに行くこととか、机の上の整理っていう、普段はあんまりしないことをしてみたら、予想以上にやりがいを感じたよ。
ほうほう
それから、友人と遊びに行ったのももちろん楽しかったんだけど、一人でやったジョギングでもかなりの満足感を感じることができたんだ。
と、いうことは、1人での活動であっても、時には友人や家族などと一緒にいる時と同じように幸せを感じることができると考えられるね。
「幸せは愛情のこもった人間関係からしか生まれない」というわけではなかったんだね。
絶対に他人が「必要」なわけではない、ということを認識することで生まれる自尊感情は、逆に人間関係の向上にもつながると考えられるんだ。
ええっ、なんで?
拒絶を恐れたり、自暴自棄にならなくなるからさ!
なるほど・・・! もしも失敗したとしても、一人でも生きていけると考えることで、かえって積極的に人間関係を築くことができるんだ!
さて、今日はもう1つ、条件付きの自尊感情についてもやってみよう!

 

自尊感情を獲得する方法

ここからは、自尊感情を獲得する方法についてやっていくよ!
よろしくお願いします!
自尊感情を獲得する方法には、大きく2つあるんだけど・・・。
前にやった、否定的思考に反論する2つの技法は覚えているかな?
ええと・・・自己弁護と、受け入れの逆説だね?
おっ、すごい! その通りだよ!
少し復習してみようか。

自己弁護

自己弁護は、否定的思考に反論して自分を弁護する・・・っていうものだったよね。
欠点に目を向けて考え込んでしまい、自分を無価値だとか、失敗者だとか思う代わりに、自分の長所を強調するんだ。
その通り。しかし、実は自己弁護にはある問題があるんだよ。
問題?
自己弁護は、新たな自己批判をもたらしてしまうんだ。
本当にすべてが順調なのか、自分の理想像を実現することができているのか、などのことを確実に知ることはできないから、たとえどんなに説得力のある弁護ができたとしても、すべての自己批判をなくすことはできないんだよ。

受け入れの逆説

受け入れの逆説はどんなものだったっけ?
こちらは、内なる批判者との戦いを拒否して、自分の欠点を冷酷な誠実さをもって客観的に受け入れる、というものだよ。
そうだった! 十分に理解して行えば、解放感を手に入れることができるんだよね。

条件付きの自尊感情

さて、それじゃあ自尊感情を獲得するための1つ目の方法を紹介しよう。
まず、「私は価値のある人間だ。なぜなら・・・」という文を作ってみて!
ふむふむ、この「なぜなら・・・」の後には何を書くの?
自分に価値があるとする理由・・・つまりは、自尊感情を築くと決めた基礎となるものを記入するんだ!
人生における成功とか、勤勉だったりなんてものかな?
あるいは、博愛主義や自分が愛されているって事実とかも。
そうそう、例えば、「私は価値のある人間だ。なぜなら、神に授かった才能と能力を使ってベストを尽くしてきたからだ」なんていうものでもOKだよ。
これで自尊感情を獲得することができるんだね。
この方法で得られる自尊感情は、「条件付きの自尊感情」であるということができるんだ。
条件? どういうこと?
条件を満たす動機付けになる一方で、条件を満たさないと、自尊感情を獲得することができないんだよ。
例えば、勤勉さと業績に基づく自尊感情だったとしたらどうなるかな?
懸命に働いて、ベストを尽くそう!って気持ちになれる!
その通り。それがプラスな部分だね。
それじゃあ、不利な部分はどうだろう? 何かあるかな?
努力をしていたにもかかわらず、生産的でもなく成功もできなかったら、自尊感情を失ってしまうかも・・・。
そう、そこがこの方法の弱点なんだ。
どんなに努力したとしても、自分が自尊感情の基準として考えていた通りにならなかった時、不安や抑うつに対して脆弱になってしまうかもしれないし、「私はしくじってしまった。失敗者なんだ」なんて考えになってしまうことも・・・。
でも、懸命に働いて、成功を収めた時には、自尊感情を得ることができるんだよね?
実は、そちらにも少し問題があるんだよ。
すごい成功を収めたとして、果たしてそれは周囲の人よりも価値のある人間になったと言えるのかな?
その優越感は、本当の必要なものなんだろうか?
すごい成功をしたから、周囲の人を見下すことにしよう。だって僕はこんなに偉大になったんだから!・・・なんて考えていたら変だよね。
そうそう、それは少し大げさにしても、この種の考え方は、そういうところに行きついてしまうんだよ。

 

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