不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その11 暗黙の了解に縛られる~
自分を大切にする、ということ
だからみんな、もっと自由に、楽に生きてもいいと思うんだ。
でも実際は、それ自体が思い込みなんじゃないかな?
周りに合わせないと「落ちこぼれ」?
- 落ちこぼれにはなりたくない。
- 周りに合わせないと、落ちこぼれだと思われてしまうのでは?
- 自分のやりたいようにやることは、周りとの協調を乱す。
多くの人が、このように考えているでしょう。
落ちこぼれになりたくないのは、みな等しくそうでしょう。
- 周りに合わせて生きる。
- われた通りにする。
- 求められているようにする。
実際、このように生きている人が多いのです。
だから、その中から一度でも出てしまうと、戻ろうとしても戻れない。
日本社会ではとくにそれが顕著です。
周りに合わせて生きることが求められ、失敗してしまうと「落ちこぼれ」とレッテルが貼られる・・・
みなそのように考えているのではないでしょうか。
だから、社会からはみ出たくない・・・
はみ出たからといって、落ちこぼれではない!
お気づきだと思いますが、「落ちこぼれ」とレッテルを貼ろうとしているのは自分です。
失敗したからといって、周りに合わせられなかったからといって、周囲があなたを「落ちこぼれ」だとは思いません。
周りに合わせない生き方は、果たして本当に「落ちこぼれ」なのでしょうか?
自分のやりたい手順でやるのが正しいのに、「落ちこぼれ」がすることなのでしょうか?
そして、そのように行動したからといって、周りから疎まれ続けるのでしょうか?
自分を解放してあげるために
周囲に合わせることも時には必要ですし、協力したほうが成功しやすいことも多くあります。
安心できる社会・コミュニティから追い出されることなく、安全・安定を確保したいのは、生物の本能的なもの関わっています。
だから、周りに合わせることも大切なことです。
しかし、必ずしも全て合わせなくてもよいのです。
一度失敗したから、一度手順を間違えたからといって、あなたは「落ちこぼれ」ではありません。
むしろ自分に縛られているのではないでしょうか?
- 周りに合わせないと(一度のミスで)落ちこぼれだと思われる・・・
- 一度落ちこぼれだと思われたら、二度と挽回できない・・・
あなたの中に、このような不安はありませんか?
もしあったとしたら、「こうしたほうがいい(こともある)」という世間の暗黙の了解に、縛られすぎてしまっているのでしょう。
「こうしたほうがいい、ということもある」程度のルールを、「こうしなければいけない」と極端に解釈してしまっていませんか?
二度と戻れないから落ちこぼれてはいけない、と考えている人は、そんなルールに強く自分を縛り付けすぎていないか、見直してみましょう。
って思っていたけど、実際は「歩調を合わせたほうがいいこともある」程度だったかも。
もしかしたら、自分を縛り付けているのは社会の暗黙の了解じゃなくて、それを極端に解釈してしまう自分なのかもしれないね。