不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その35 敵はいなくても争いになる~
戦いながら生きるメリット
- 指摘・注意をされるのが苦手だ。
- 指摘されたり、注意されたりすると反論したくなる。
- 誰よりも評価されたい。
- 自分が有利な議論に持ち込む。
これは、頑張るモチベーションにはなるけど、
「周りが嫌な思いをしても知らない」「自分だけ勝つために」と過激になってしまうことも。
どうして「言い負かそう」とするのか
無意識の戦いとはどんな状態か
優秀な後輩が入社してきたとしましょう。
戦いを日常に置いているひとは、「自分よりもその後輩が優れている」と感じると、「自分のほうが優れている」「勝っている」と証明しようとします。
後輩の小さなミスをあら探しして人前で指摘したり、有用な仕事ぶりでも否定したり・・・
羨望、嫉妬あると無意識のうちに、敗北感を打ち消そうとして後輩を相手に戦い始めます。
この行為は後輩を傷つけ、貶めるものですが、やっている当人は「戦っている」ことすら無自覚。
「会社としては後輩を育てる」「争っても意味がない」ということにも気づかず、「蹴落とさなくては」とどんどん過激化していってしまうのです。
味方だった人も離れていってしまい、敵になることだってあるでしょう。
気付いたころには自分ひとりで戦っている、という状態になってしまいます。
もし、優秀な後輩が入ってこなかったら、どうなっているでしょうか?
それでもなぜか、競う相手を探し出しているはずです。
敵がいたほうが生きやすい場合
敵・味方で捉えてしまうものとしてわかりやすいのが、婚姻関係によるトラブル。
嫁・姑(夫の母)問題、というものは想像が難くないでしょう。
夫の家族側は「部外者」である嫁のことを、共通の敵だと思ってしまえば、その敵を倒すために共闘できます。
利害が一致するわけです。
夫の家族は、嫁がくるまでには全く問題がなかったのでしょうか。
父母間、親子間で何か問題があったとしたらなおさら、嫁を「共通の敵」として認識することで団結し、家族仲は落ち着きます。
しかし、ここで嫁が離れていった・離婚したとしたら、夫の家族側はそのまま平和でいられるのでしょうか。
それまでにあった家族内トラブル、お互いに抱えていた不満が見え始めたり、または家族内での争いを避けるために、さらに別の「近所」「職場」などの敵を探し出してしまうでしょう。
望んでいないのに敵をつくる
このように、望んでいた平和のために共闘していても、望んでいた平和が訪れてもまた戦い、ということもあるのです。
常に戦ってきた人にとっては、戦いの無い日常というものは過ごしたことはありません。
争わなくていい状況だったとしても、何か敵を見つけて争いをし出します。
自分を守るために「勝つこと」にこだわってきたから、争いがなくなったときに自分を守る方法を知りません。
このために、望んでいないのに敵を作り、戦い始めてしまうのです。
指摘されたら相手を敵だと思って言い負かそうとしてしまう、という場合も同じで、言い負かして相手が去ったとしても、また別の敵を見つけて戦っているよ。