不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その36 戦う人の根底~
他人と比較したり争ったりする人の過去
- 自分より優れている人を妬ましいと思う。
- 自分のことを高く評価してほしい。
- 何かをするとき、誰かに背中を押してもらいたい。
- 誰かに認めてもらえないと不安になる。
どうして争っているのか
どの環境でも、知らない間に争う人がいる
優秀な後輩を妬ましいと感じて、卑下したりミスを探して指摘したり。
優秀な人物をそのように排除してしまうのは会社のデメリットのはずですね。
それでも、いつのまにか敵だと認識して、排除する方向に走ってしまいます。
家族の誰かを妬ましいと思い、排除しようとするのも同様です。
これらは誰にもメリットがないことですが、なぜこうして争いだしてしまうのでしょうか。
よいライバルであるならば、その戦いは会社の売上を伸ばすことにつながるものでしょう。
しかし、その心の奥底にあるのは「この人よりも、私を認めてほしい」「私を見てほしい」という気持ちです。
自分のほうを見てほしい、自分を認めてほしいから、その邪魔になる他人に「蹴落とす」「卑下する」「悪い噂を立てる」等の行動をとってしまいます。
認めてほしいという気持ちが強い
この「自分を見てほしい」「自分のほうを認めてほしい」という気持ちは、会社や家族、友達関係、恋愛関係とどこにでも存在します。
しかし、「自分だけを見てほしい」「他人を評価しないでほしい」などといった主張や、そのための戦いを見ているのは、痛ましいものがありますね。
自分で自分を認めてあげることができていないから、他人に認めてほしいと依存してしまいます。
自分で自分のことを認めてあげられるならば、自分の方を向かせるために他人を蹴落とすようなことはなくなります。
認めてほしい、自分を見てほしい、という気持ちは、自分で自分を認めてあげられていない状態から生まれるもの。
自分がしたいと思ったことを、自分の自由にできないから、他人に認めてほしいと思うのです。
そもそも他人の承諾は不要
自分が「したい」と思ったことが、誰にも迷惑をかけないのであれば、「許してほしい」というものは必要なくなりますね。
むしろ、「これをやりたいから行動するよ」と伝えるだけで済むでしょう。
自分のやりたいことを、わざわざ他人に認めてもらう必要はないのです。
もちろん、誰の負荷にもならないのであればなおさらです。
自分がしたいことをするために、承認を求める必要はありません。
他人に依存をしているということ
それなのに他人に承認を求めてしまうのは、他人の目や世間のルールに縛られて生きてきたからでしょう。
他人や世間が望んでいないことをする、ということは、他人や世間の役に立てず嫌われてしまうのではないか、という恐怖が根底にあるのです。
そもそも他人の欲求を自分が満たす必要はありません。
それでも、長い間他人の目線や世間体を気にして生きてきた人は、他人が求めていない行動をするのを恐れます。
他人に認めてもらえなくなるのではという恐怖があって、自分の思う通りのことができず、罪悪感を感じることもあります。
他人目線に依存をしてきたから、他人に自分を評価してもらいたい、だから自分の邪魔になる人を蹴落とそう、と知らぬ間に争いを始めるのです。
こういう心理があったんだね。
「こうしてはいけない」と自分を縛って生きてきた人には、思い当たることがあるんじゃないかな。