お盆特別講座「怒りのタネ」

お盆特別講座

今年もお盆の時期がやってきましたね!

今年のリスタートは、8月10日~16日の6日間がお盆期間となります。

今日も引き続き、「アンガーマネジメント」についての特別プログラムです。

怒りにはタネがある

怒りの感情の裏には、他の感情が隠れています。

前回の記事で怒りのピークが治まるまでは6秒ほどと紹介しましたが、怒りがピークに達するまでは一瞬です。

そのために見逃しがちなのですが、怒りが大きくなる前の段階に目を向けることで、怒りの「タネ」となる他の感情が見えてくるのです。

タネになるかもしれない感情として、以下が挙げられます。

①不安

不安という感情は、自分の身を守るため、危険に対する用意をするために浮かんできます。

前回の記事で説明した通り、怒りの感情は身を守るために相手を攻撃するときに浮かんでくるため、強い不安が怒りを生むことがあります。

②恨み

自分を傷つけた人や出来事に対して残り続ける憎しみの気持ちです。

言い換えれば、捨てられずにいる過去のことに対しての怒りです。

元々の原因はすでに過ぎてしまっているのですが、その恨みの相手に対して強い怒りが再び浮かんでくることで、攻撃的になってしまいます。

③妬み・羨望

相手の良いと思うところ、望んでいるにもかかわらず自分が持っていないところを羨む気持ちです。

「どうして自分にはできないのか」「なんで自分はそうなっていないのか」と考えているうちに、それによって自分が傷つくのを防ぐため、怒りの感情に切り替わってしまうことがあります。

④悲しみ

「自分のことを理解してもらえていない」とか、「思うようにいかずにがっかりした」というときには、自分が傷つかないよう、悲しみの原因となった対象に怒りを向けてしまうことがあります。

⑤期待・希望

怒りなどのネガティブな感情とは真逆の感情で、意外に思われるかもしれません。

実際に、期待することや希望を抱くことは悪いことではありませんし、その通りに行けばプラスの感情が湧いてきます。

しかし、世の中には「期待を裏切られた」という言葉があります。

これは、「期待していたのに、その通りにならなかった」というときに使う言葉ですよね。

実は、期待や希望といった感情の正体は、「このようにしたい」「このようになってほしい」という、自分自身の「欲求」です。

そのため、望み通りの結果にならなかったときには、欲求が満たされなかったことによって自分が傷つかないように、怒りの感情にスイッチしてしまうことがあるのです。

怒りのタネを生む言葉

怒りのタネを生む原因となる、3つのワードを紹介します。

「べき」

認知行動療法においても、「べき思考」という認知の歪みを紹介しました。

「べき」という言葉は、自分の価値感を強く反映します。

例えば、「年下は年上の言うことを聞くべきだ」と考えていたとします。

これは、礼儀やマナーといった意味では間違っていないのですが、年が上だからといって、相手のすべての考えを受け入れようとすれば無理も出てきますし、辛くなる場面も多くあるでしょう。

どうしても相手の言うとおりにできなかったことがあったとして、「べき」で考えていたならば、守ることができなかったことに対して強い怒りが沸いてしまうかもしれません。

一方、自分の後輩が自分の言うとおりに動いてくれなかったときもまた、「べき」で考えているならば怒りの感情になってしまいます。

このように、他人を自分のルールで縛ろうとしたり、自分で自分を達成のできないルールで縛ってしまうことによって怒りに繋がるのが「べき」というワードです。

「せっかく」

「せっかく」という言葉には、「相手のためにわざわざやった」という思いが含まれています。

「あなたのために頑張ったのに、それが報われないなんて」と感じているというわけですね。

相手のためにわざわざやった、頑張ったにもかかわらず、それが報われなかったという思いが表れている言葉です。

しかし問題は、相手がそれを望んでいたとは限らないということです。

「喜ぶだろう」と自分が”思い込んで”いるものの、相手の希望と合っているとは限らないために、時に期待を裏切られたように感じ、怒りを覚えるのです。

「はず」

予想した結果が外れてしまったときに出てくるワードです。

これもまた、「せっかく」と同じく自分の思い込みが原因です。

自分では正しいと思っていたとしても、やはりその期待は自分の”欲求”でしかありません。

そのために、予想が外れ、怒りに変わることになってしまうのです。

重要なのは、自分と他人は違う、ということを明確にしておくことです。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、「こうなるはずだ」と決めつけるのは、「相手も自分と同じように考えて動くだろう」という前提に他なりません。

自分と他人では、同じ状況に対しての受け取り方も違えば、それを受けて起こす行動も変わります。

「こうなるはずだ」という思い込みがなければ、裏切られたと感じることもないのです。