自分を受け入れるということ③ ~自分を偽り、疲れてしまう人~
自己受容についての3つ目の記事です。
この記事では、について分析していきます。
自分を偽り、疲れてしまう人
小さい子どもは、無条件に愛されながら生きています。
親に何かしてもらったとき「うれしい」とは言うかもしれませんが、教えられるまで「ありがとう」とは言いません。
気に入っている人がいて欲しいときに自分のそばにいなければその人に不満を感じますし、反対にいて欲しくないときにいられても不満に思うでしょう。
子どもの願望というのは自分勝手なものです。
しかし、このように「自分勝手に過ごしても受け入れてくれる」存在が側にいることで小さいころに「無条件に愛されたい」といった欲求を満たすことができ、自分に自信を持つことができるようになるのです。
また、自分に自信を持っているからこそ、周囲の人のことにも気を配り、もらうだけでなく与えることもできるようになっていきます。
一方で、幼い頃から自由に生きることができず、「良い子」を演じなければいけなかった人は、このような無条件に愛されたいといった欲求を満たすことができないまま成長していきます。
すると、自分で自分の価値を認めることができず、「人から認められたい」という気持ちを強く持ったまま大人になってしまいます。
ほめられたい、注目されたい。損はしたくないけど寛大な人と思われたい。無責任でいたいけど尊敬されたい・・・。
そういった、小さいころに満たされなかった一方的に愛され、もらうといった欲求が心の中にくすぶり続けてしまうのです。
ところが、社会というものはそんな大人を認めてくれません。
世話をして欲しいのに、世話をしなければいけない。
甘えたいのに、甘えさせなければいけない。
養ってもらいたいのに、人を養わなければいけない。
自分が助けてと言いたいのに、逆に相手を助けなければいけないのだとすれば、生きづらく感じるのも当然と言えるのではないでしょうか。
自分の欲求を抑圧して、表面上は大人の顔をしなければいけないがために、憂うつになったり、イライラしたりしやすくなってしまうのです。
人から認められたいと思うことは、なにも悪いことでも、おかしなことでもありません。
しかし、頑張ったからと言って、周りの人が認めてくれるという保証があるわけではないのです。
自分を偽って頑張って、だけど期待していたような反応が得られなかったというとき、周りの人を憎み、生きることへの疲労感が募って辛くなってしまいます。
前回の記事でも述べたように、そのような自分の状態を受け止めることができなければ、この辛さを解消していくのは難しいのです。