サーカスといえばピエロ!-ピエロの涙の意味-
今日、10月26日は「サーカスの日」です!
1871 年のこの日、東京都の九段下にスリエサーカスがやってきました。西洋サーカスの国内巡業は初めてのことで、当時の日本人は大盛り上がり。その後、大正から明治にかけて、日本でもサーカス団が続々誕生します。一時はとても流行したサーカスですが、1948 年にできた児童福祉法により15 歳未満はステージに立つことが禁止され、小さい頃からの訓練と経験が必要なサーカスとしては深刻な後継者問題に。現在では、木下大サーカス・ポップサーカス・ハッピードリームサーカスが日本3 大サーカスとして、サーカス業界を盛り上げています。
リス太:サーカスを見に行ったことある?
K君:あるよ。猛獣が火の輪を飛び越えたり、空中ブランコや綱渡りはハラハラドキドキするよね。
リス太:そうだね!ほんとにドキドキして楽しいよね。
近代サーカスは1770年のイギリスの「アストリー・ローヤル演芸劇場」だと言われているんだって。
K君:日本に初めてサーカスが来たのはいつ頃?
リス太:1864年に横浜で興行された「アメリカ・リズリー・サーカス」なんだって
K君:日本人によるサーカスはいつ頃始まったの?
リス太:1899年に「日本チャリネー座」が始まりとされているんだよ。
K君:へえ~ じゃ木下サーカスはいつ頃始まったの?
リス太:1900年代頃で大正から昭和にかけて有田サーカス、木下サーカスなどが創立されて人気となったんだって。その頃の日本では「曲馬団」という名称だったんだよ。
K君:そうなんだ。サーカスと呼ばれるようになったのはいつ頃なの?
リス太:1933年に世界一の動物調教を誇るドイツのハーゲンベック・サーカスが来日し日本中で大人気になって「サーカス」という名称が定着したんだって。
ハーゲンベック・サーカスは団員150名、猛獣182頭を引き連れての大サーカスだったんだ。
リス太:ところで、サーカスといえばピエロだよねぇ。K君はピエロと聞いて何を思う?
K君:人々を笑わせてくれる陽気で楽しい道化師、かな。
リス太:僕はピエロのミステリアスなムードが好きだな。
K君:楽しげに見えるけど・・・なんか寂しげな空気を湛えているよね。
リス太:ミステリアスだよね。
ピエロの厚く白塗りされた顔は、まるで仮面のようで、人間味を感じさせないよね。
一本線のように描かれた、毛流感の無い細い眉。白塗りで小さく見える目は黒く囲まれて、視線の方向を曖昧にしていて。
K君:印象的なのが右目の下に描かれた大粒の涙マークだよね。
リス太:滑稽な動きで人々を楽しませるピエロだけど、
道化を演じることで人を笑わせ表情を殺して、動作だけで感情を伝えるってとても難しいことだよね。
K君:その難しさを見ている僕たちは評価していないかもね。
リス太:だからピエロの胸の奥には、認められていない者の悲哀があるのかも・・・
K君:ピエロは片目だけ涙を流しているじゃない。
リス太:顔半分を笑顔のメイクに、もう半分の顔を泣き顔のメイクにする事によって
『幸せ』とか『喜び』は「苦悩・悲しみ」と常に隣り合わせだという事を表現しているのかもしれないね。
K君:そうだね、そんな想いを伝えるのが右目の下の涙なのかなあ。
彼を見かけたらちょっと声をかけて見てください。
あなたの心を癒してくれる・・・ことでしょう・・・