リス太と学ぶ認知行動療法 ~受け入れの逆説~

前回までの「リス太と学ぶ認知行動療法」はこちらから

今日は、受け入れの逆説についてやっていこう。
受け入れの逆説・・・って、どんなものだっけ?
これまでやってきた技法は、否定的思考は不合理なものとして反論する自己弁護の技法だったよね?
うん。そうだね。現実に即していない考えをやめて、よりよい考え方を探してきたよ。
今日やる受け入れの逆説は特殊な技法でね。これまでとは逆なんだ。
逆?
そう。つまり、自分自身の自己批判を受け入れるんだ。
ええっ!?受け入れちゃって大丈夫なの?
うんうん、驚くのも無理はないよね。さっそく説明していくよ!

 

受け入れの逆説

これまでやってきたのは、否定的思考の歪みを特定して、その間違いを証明することで、気分を改善する、というものだったね。
認知の歪みを探したり、メリットとデメリットを考えたりして、現実的な考えに変えていったんだったよね。
でも実は、否定的思考に反論する代わりに、その中になんらかの真実を見つけて、安らかな気持ちで受け入れることで、劇的な結果を期待することができるんだ。
それじゃあ、実際に一度やってみようか
お願いします!

実践

今回も、声の外在化を使うよ。僕がK君の持つ否定的思考をぶつけるから、K君はそれを受け入れるんだ。
リス太君が否定的思考の役、僕が合理的思考の役になるんだね。
その通り。2人の間の対話のように見えても、実際にはK君の心の葛藤を2つの声が表現していると考えるんだ。
わかったよ!
それじゃあ、行くよ!
「君はいつも失敗してばかりだ!」
「まったくその通りだよ。僕は、失敗が多いんだ。」
「君は敗者で、落伍者なんだ!」
「うん。僕は自分が敗者で、いつもいつも置いていかれていると感じているんだ。それを認めるよ。」
「君はいつもいつも落ち込んでいるが、そんなことをしているのは何か悪いところがあるからだ。君は欠陥人間なんだ!」
「ああ、それも認めるよ。僕には悪いところがあるし、欠陥だって持っている。それで、くよくよと落ち込んでばかりなんだ。」
どう?受け入れの逆説が、これまでの自己弁護の戦略とは大きく違うことが実感できたかな?
自分を褒めたり、反論するんじゃなくて、傷ついて、不完全で、欠点がある人間なんだと認める・・・こんな方法があったんだね。
正直に、静けさを保ったまま自分を無防備にし、欠点を受け入れることで、心がラクになる場合があるんだ。
今やったのは、「恐れている幻想の技法」と呼ばれるものだよ。
恐れている幻想?
自分が恥ずかしく感じている欠点を知り尽くしている架空の人物が、その欠点を突き付けて攻め立ててくるんだ。
なるほど、それが恐れている幻想なんだね。
さっきのリス太君みたいに、他の誰かじゃなくて、僕自身の自己批判が投影されているわけだ。
この幻想の人物は、自己弁護の応答をしても、次々に欠点を使って攻撃してくる。
でも、ひとつだけこの幻想を止めることができるのが、攻撃を受け入れてしまうことなんだ。
んん?それだと、なんていうか、自分の自己批判に負けたことにならない?
それでいいんだ!相手は欠点を挙げて攻めることしかできないんだから、その欠点を受け入れてしまえば相手は武装解除されて何もできなくなってしまう。降伏することで自分の批判を打ち負かすんだよ!
そんなこと、考えたこともなかったよ!
でも、どうしてそれで効果があるんだろう?
それはまず、僕たちがみんな、不完全な人間だからだよ。
どういうこと?
僕たち人間は、たとえどんな職業でも、どんな立場であったとしても、完璧ではなくて何かしらの欠点を持っているものなんだ。
ええっ?そうなのかな? でも、欠点が思いつかないような人もいそうだけど・・・。
人はみんな、自分の不適格感を、恥ずかしいことと考えて隠しているんだよ。
ああ、それはちょっとわかるかも・・・。
でも、その欠点を受け入れることによって、重圧感から解き放たれて、精神的な批判などが効果を失うんだよ。
失敗を受け入れたり、弱点を受け入れることで、これまでの限界を超えたり、新しいことに挑戦できたりするって感じかな。
でも、それってそんなに簡単に受け入れられるのかな?
もちろん、ほとんどの人は強い抵抗があると思うよ。
誰だって、自分が「人並み」とか、「誰かに劣る」なんて可能性は恐怖を覚えるし、失うことで利益を得られる、なんていうのは、馴染みのない考えだろうからね。
この受け入れの逆説と、前回までの自己弁護のやり方は、どっちを使った方がいいの?
それは、人によって、あるいは否定的思考の内容によって変わってくるんだ。
だから、自分にとって有効だと思う方法を探したり、必要に応じて使い分けてみて!
わかった。やってみるよ!

 

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