不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その41 目で見えないもの~
目次
誰かと比べて羨ましい、妬ましい。その基準値は何?
- あの人は勉強ができるから羨ましい。自分はそんなにできない。
- 芸能人は羨ましい、生きていて楽しそうだ。
- 医者や弁護士といった職業の人は幸せそうだ。お金と地位を持っているのだから。
目で見えるものだけを追いかけている?
他人と比べる尺度とは
- あの人は頭がいい、でも私は勉強ができない。
- あの人はお金持ちだが、私はお金持ちではない。
こんな比較をして、辛く感じたり、劣等感を強く感じたり・・・
でも、どうして勉強の出来・不出来、金銭的余裕の有無で比較しているのでしょうか。
その比較基準は、どうしてあなたの中に存在しているのでしょうか。
誰が幸せか、誰が決めたのか
- 勉強ができる人の方が、優秀。
- お金持ちの人のほうが、優れている。
- 地位や肩書を持っている人は勝ち組。
これらは、そんな比較をしやすい人たちに刷り込まれている概念です。
しかし、実際はこんなルールははありません。
勉強ができれば優秀、お金持ちの方が優れている、とは実際に限りません。
しかし人は、その尺度で比較をして、落ち込んだり、優劣感を感じたりします。
この比較は、誰がはじめたのでしょうか?
目に見えないものは測れない
たとえば学校の成績。
成績が良ければ、親や教師からほめてもらえます。
そのために学生は成績を上げるために努力をします。
しかし、成績表では、その人の人となり、精神性、考え方、想像力などは測ることができません。
そもそもそんな評価基準がありません。
成績は目に見えるもので、数値化しやすいから成績表として形に残ります。
一方目に見えない人間性の部分は、数値化がとても難しく、成績などという形では測れません。
この「成績表」という数値に、私たちはとらわれすぎているのです。
目に見えないものこそが人間性
しかし、人間性の部分は確実に誰にでも存在していて、個性的なもので、それこそが私たちが生きていることの証明です。
人間であることの証明になるものです。
これらは学力や金銭と違い評価することはできないし、誰かと比べるものでもありませんね。
しかし、私たちは成績表の概念にとらわれすぎて、この部分に目を向けないか、目を向けても数値化できる成績以上には評価できないでいます。
自分を解放する鍵は「目に見えないもの」
数値化できるものの評価に頼り優劣を比べるのは簡単です。
しかし数値化できない人間性だからこそ、比較ができず、私たちは数値化できるもの以上の評価ができません。
数値化できるのは、学力など成績、肩書、お金など。
これらを人間性の価値に置き換えて比較をしてしまっているのです。
それらで比較をし、多い少ない、優劣でその人の価値を考えてしまっているのです。
これでは、その人の人間性が優れていても「劣っている」と評価されるし、真面目な人でも「成績が悪い」と烙印を押されてしまうのです。
これらがあなたを苦しめていませんか?
数値化できるものは、人間性ではない部分です。
それなのに人間性ではない部分で比較をし、優劣を競い、苦しむ。
もしこのことがあなたを苦しめているなら、数値の部分で競うのをやめることが先決です。