不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その44 「当たり前」は知らないうちに自分を縛る~
目次
求められる「当たり前」、求める側は意識なし
- みんなが受験するのだから、自分も受験する。
- 進学、就職。みんなと同じタイミングがいい!
- 結婚して家庭を持つのが常識。
当たり前レールに乗らないといけないと思い込んでいる
自由な選択をしたつもりが、実は制限されていた!?
自分の人生は自分で決めるもの。
そういった言葉があるように、私たちの人生は、全て自分の選択で成り立っています。
しかし、その選択はもしかしたら制限付きではありませんでしたか?
- 「進学先は自分が好きなところへ」という進学が当たり前だという考え
- 「就職先は自分で決める」が、就職活動というレールに乗っている
幼いころから、たくさんの「~するのが当たり前」という考えに縛られて生きています。
だから、そのレールから外れるのを極端に恐れ、また恐れていることにすら気が付きません。
期待して「当たり前」な他人
- 久々に実家に帰れば、「結婚は?」「相手は?」と聞かれる。
相手がいたらいたで「子供は?」「貯金は?」と聞かれる。 - 学校を卒業すれば、「就職は?」「地元に帰るの?」と聞かれる。
進学や留学を考えていても言い出しにくい。
周りは、あなたに「人並み」の「当たり前」の人生を歩んでほしいと思っていませんか?
そんな期待をされて息苦しい、居心地が悪い、と感じたことはないでしょうか。
そんな「当たり前」の期待を実現するための、頑張ろうという、気力はなかなかわかないもの。
「当たり前」を求められたり、当たり前のことそのものに違和感を感じたりするのは当然のこと。
「当たり前」に応えるためには自分が本心でやりたいと思っていることを抑制するのですから、違和感は当然発生します。
しかし、他人は当然のように「当たり前」を要求するもの。
違和感を感じながら「当たり前」を要求されて、居心地が悪い・居場所がないなどと感じるのは、当然のことなのです。
人生は「組み立てライン」ではない
しかし、日本では昔からライン化が多いもの。
生まれてから組み立てラインに流され、このタイミングで受験、このタイミングで就職、と横から部品を追加され、整えられていきます。
おおよその人がこうしてラインに乗っているのですから、そこは窮屈だと感じても、「当たり前」であり「みんなと一緒」なわけです。
受験・就職などを拒んだり、うまくいかなかったりすると、その「当たり前」「みんなと一緒」から外れてしまうことに。
そうすると、「自分は落ちこぼれ」「欠陥品」と思い込んでしまいます。
それが嫌だから、ラインに乗り続けることを望み、違和感を感じながらも「当たり前」に「みんなと一緒」を受け入れていくわけです。
常識から外れるのを恐れる理由
ラインから外れるのを恐れて、本心を隠しながらも「当たり前」を受け入れ、他人の「当たり前」を実現するために努める。
「自分はこうしたい」という気持ちを言葉にしようものなら、ラインから外れてしまいます。
だからその気持ちを押さえつけ、息苦しさを感じながら生きていく。
このラインに乗った人生では、違和感を感じたり、息苦しさを感じたりしても当然です。
何もおかしなことではないのです。
あなたがもし、人生で息苦しさ、「当たり前」への違和感を感じているのだとしたら、それは何もおかしいことではありません。
「こうしたい」という自分の本心に向き合い、レールから外れても欠陥品ではないということを認める日が近いのです。