思い込みのフィルター②

昨日の記事で、生きづらい原因となっていることが多い「思い込み」についての説明をしました。

今回も引き続き、思い込みによって作られたフィルターの影響について考えていきたいと思います。

見えている世界と思い込みのフィルター

さて、前回の復習となりますが、我々はみな、それぞれの思い込みを通して世界を見ています。

言ってみれば、それぞれが違う色のメガネをかけ、耳にガーゼを詰めた状態で生活しているようなものです。

様々なものを見聞きしたとき、その情報はそのまま取り込まれるわけではなく、必ずこのメガネやガーゼを通過します。

そのため、我々が取り込んでいる情報は”すべて”思い込みのフィルターを通り、自分の考えに沿った形に変化した情報なのです。

例を見ていきましょう。

「人生とは真剣なものだ」という思い込みを持ったAさんという人がいたとします。

この人は、真面目な性格をした人に好印象を持つ一方で、遊び好きな人には白い目を向けることと思います。

そして、その人が「遊び好き」という一面を持っているだけで、浅薄なヤツだ、無責任なヤツだ、という印象を作り出してしまうのではないかと思います。

しかし、こういった印象は思い込みでしかありません。

その人が表に見せているのは、その人の持つ様々な要素のうちの1部でしかなく、そこからその人全体のことを推し量れはしないはずなのです。

また別の例を挙げましょう。

「自分のことを吹聴するものではない」という思い込みを持つBさんという人がいたとします。

おそらくBさんは、これまでの経験から、このような思い込みを持つことになったのでしょう。

さて、このBさんの子供がある日、「今日、幼稚園で絵が上手だねって褒められたんだよ」と伝えてきました。

これを受けたBさんは、一緒に喜ぶのではなく、「自慢をしているな」と感じて、「あまりそういうことを言うものではないよ」と返してしまうのです。

わたしたちは常に、自分の手の届くところにある情報が、自分の思い込みと合致しているかどうかを無意識に調査しています。

そして合致していないことがあれば、自分の思い込みに合わせて「これはこうでなくてはならない」と無理やり捻じ曲げて受け止めてしまうのです。

自分と相手のフィルターが同じとは限らない

さて、これまでの人生で、ある特定の状況に対しての解釈が自分と他者でまるで違い、驚いたという経験は何度もあるのではないかと思います。

このとき、人はだれしも自分の解釈を疑うことはしないため、相手の解釈は”間違っている”と感じられてしまいます。

しかし実際には、これはどちらかが正しく、どちらかが間違っているという話ではありません。

人の持つ思い込みのフィルターは、それまでの経験から作られています。

まったく同じ人生を歩んできた人がいない以上、まったく同じフィルターを持った人もまたいないのです。

同じ状況に出くわしたとしても、持っているフィルターが違えば、情報の受け止め方もまた違います。

そしてお互いに「自分の解釈は正しい。相手は間違っている」と感じるために、ぶつかってしまうことになるのです。