高田馬場の歴史① 現代まで続く江戸文化

こんにちは。今日からしばらく、就労以降支援事業所リスタートがある高田馬場の歴史をご紹介したいと思います。

高田馬場の歴史

『高田馬場』・・・みなさん、これを何と読んでいますか?

駅名として馴染み深い人も多いと思いますが、駅でのアナウンスを聞いたことがなければ、漢字の並びだけではとっさに読み方がわからないかもしれません。

答えから言ってしまいますと、駅名としての正解は「たかだのばば」になります。

しかし、『高田馬場』とだけ書かれた場合には、実は必ずしも「たかだのばば」と読むとは限りません。

高田馬場という駅名や地名の由来は、現在では西早稲田3丁目付近にある『高田馬場』という史跡です。

しかし、こちらの史跡は「たかたのばば」と、「高田」の部分に濁点がついていません。

同じく周辺の地名も、昔は「たかたのばば」と呼ばれていました。

しかし、1910年高田馬場駅が開設された際、駅名が「たかだのばば」と濁点のついた呼ばれ方をしていたことから、周辺の地名も釣られるように「たかだのばば」と呼ばれるようになっていったそうです。

さて、『高田馬場』の読み方について、もう一つ、不思議なことがありますよね?

どうして「たかだばば」ではなく、「の」が入っているのでしょうか。

その理由は、江戸時代まで遡ります。

高田馬場流鏑馬

1636年、徳川三代将軍家光によって、馬術の訓練などを行うための馬場が作られました。

その馬場が作られた一帯が高台にあったため、当時から「高田」と呼ばれていたそうです。

「高田」にある「馬場」であるため、「高田馬場」と書いてたかだのばば・・・と、言われている、というの有力な説であるそうです。

他にも、家康の六男である松平忠輝の生母である、高田殿が景色を楽しむために庭園を開いた場所であっために「高田」の名を取った、などといった説もあります。

なんにせよ、高田馬場も馬術の稽古を行う武士たちが住んでいたのは確かであり、その名残として残っているのが「高田馬場流鏑馬」です。

 

流鏑馬・・・聞いたことがありますでしょうか?

走る馬の上から弓矢を用いて的を射る射技であり、かつては武士の間で盛んに行われていたといいます。

八代将軍吉宗の時代に、世継ぎの疱瘡平癒祈願のために穴八幡宮で行ったことから始まった高田馬場流鏑馬は、明治以降廃止されていた時期もあったそうですが、昭和に復活してからは今でも毎年行われています。

 

高田馬場流鏑馬は、現在では毎年体育の日に開催されています。リスタート高田馬場は祝日も活動していますので、利用者さんたちと一緒に見に行ってみたいですね!

今日の花

 

今日の花は『イワカガミ』

花言葉は「忠実」です。