高田馬場の歴史② 高田馬場の決闘

高田馬場の歴史①はいかがだったでしょうか?

まだ読まれていない方は、こちらから読めますよ!

今日も、就労以降支援事業所リスタートがある高田馬場について紹介したいと思います。

今回紹介するのは、高田馬場の決闘についてです!

高田馬場の決闘

突然ですが、赤穂浪士四十七士ってご存知ですか?

忠臣蔵の主要人物たちとして有名ですよね。

非常に多くの映画やドラマが作られているので、見たことがある人も多いと思います。

そんな赤穂浪士四十七士の中に、2012年に放映された忠臣蔵のドラマでは主役にも抜擢された『堀部安兵衛』という人物がいます。

その堀部安兵衛の有名なエピソードが『高田馬場の決闘』なんです!

当時、堀部安兵衛はまだ中山安兵衛という名前でした。江戸で剣術の修行をしていました安兵衛は、同門の菅野六郎左衛門と叔父・甥の契りを結びます。

その菅野がある時、村上庄左衛門という人物と御前試合をして勝利します。しかし、納得のいかない村上は、菅野に決闘を申し入れます。

しかし、実は村上は正々堂々と決闘をしようなどとは考えておらず、仲間を連れていきだまし討ちで菅野を殺してしまおうと考えていたのです。

果たし状を見て、死ぬかもしれないと直感した菅野は、決闘に赴く前に中山安兵衛に別れを告げようと家に向かいます。

しかし安兵衛は折り悪く留守にしており、菅野は仕方がないので置手紙を残していきます。

家に戻ってきた安兵衛がその手紙を読んだころには、もう決闘が始まってしまう直前でした。

慌てた安兵衛が走りに走って高田馬場まで行く・・・というエピソードがとりわけ有名ですね。

その後、高田馬場に着いた安兵衛は、果たし合いがもう始まっており、菅野ひとりに対して複数人の相手がいるのを見るや助太刀に入り、安兵衛の活躍によって事なきを得ました。

この時の活躍を堀部弥兵衛が見ており、安兵衛を気に入った弥兵衛が彼をスカウトし、後々の赤穂浪士になるわけですね。

しかしこの話、実はあれこれ脚色がなされており、どこまでが忠実だか怪しいそうです。

この決闘のあと、江戸市中の瓦版で「18人斬り」などと誇張して紹介され、それをもとに講談や芝居が作られたものだから八面六臂の大活躍だと思われていますが、実は相手は3人だけだったともいいます。

また、有名な高田馬場まで走って助太刀した、というエピソードからして後の脚色で、実際には最初から菅野と一緒にいた、なんて説もあります。

なにはともあれ、高田馬場で堀部安兵衛が決闘の助太刀し、この決闘がのちのち安兵衛が赤穂浪士に参加するきっかけになったことには間違いないようで、歴史ファンには堪らない場所となっています。

ちなみに、高田馬場の決闘が行われたといわれているのは水稲荷神社の参道ですが、住所としては西早稲田3丁目にあたります。

どうして「高田馬場の決闘」なのに早稲田にあるのかは、また次回お話しします!

今日の花

 

今日の花は『タイサンボク』

花言葉は「前途洋々」です。

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