松尾芭蕉は忍者だった?!

今日、8月19日は「俳句の日」です!

 

リス太くんMEMOによると・・・

「819」の語呂合わせから、京都教育大教授で、正岡子規の研究家である
坪内稔典氏が制定。俳句は五・七・五の十七音から成る定型詩。
世界最短の定型詩であるとされ、川柳とは違って季節を表す
「季語」がいるんだ。ちなみに、「夏の季語」には、動物では、
ほととぎす、みみず、めだか、金魚、蝙蝠、蛇があるよ。
植物では、紫陽花、ひまわり、牡丹、ゆり、薔薇、睡蓮、
気象に関するものでは、雷、夕立、五月雨、夕焼け、とかかな!

 

 

俳句のルーツは・・・?

更に歴史を遡れば万葉集の大伴旅人に行き着きますが、

平安後期になり、一篇の和歌を複数の人間で詠む遊戯がおこり、

鎌倉時代になり、公家の間で「連歌」という形ではやり始めます。

百首もの和歌を複数の人間が、575、77、575、77と順々に詠んでゆくのです。

この最初の 575を発句といったのです。

俳句はこの発句が独立して一つの詩になったものです。

 

リス太:K君 俳句と言えば?

K君:もちろん 松尾芭蕉だよね?

リス太:そうだね。じゃあ 松尾芭蕉と言えば?

K君:『奥の細道』

リス太:『松尾芭蕉の謎』と言う都市伝説があるんだよ

 

それはね・・・

松尾芭蕉と服部半蔵は同一人物である!!

というものなんだ!!!!!!

K君:えっ?? 服部半蔵???

松尾芭蕉って忍者だったの???

リス太:なぜそんな話があるのか調べてみよう!

『奥の細道』を書くために全国各地を旅した松尾芭蕉

松尾芭蕉の謎 1

当時は関所が数多くあり、よほどの要人でもなければ

自由に藩と藩の間を行き来する事ができない。

個人が全国を旅するなど気軽にできる事ではなかった江戸時代にも関わらず、

なぜ全国各地を旅することができたのか・・・

 

松尾芭蕉の謎 2

松尾芭蕉は旅を始めた当時46歳であり、30〜40歳ぐらいといわれている。

江戸時代の平均寿命を考えるとその年齢は十分高齢者に分類される。

それなのに、芭蕉は「奥の細道」で、一日12里(48キロ)も歩いている。

並みの人間では不可能な数十キロもの距離を移動したのだ。

そうなると、芭蕉は一体どのようにしてこれだけの距離を移動したのだろうか・・・

特殊な訓練でもしていない限り、難しいのでは・・・

これらの謎を解くカギは徳川幕府にあるらしい・・・・・

 

徳川家康は特殊部隊・・・・つまり「忍者」を創設したと言われている。

忍者はスパイと兵士を兼ね揃えた特殊部隊であるが、

忍者の中でも特に優秀で家康が認めたと言われる人物こそが、

服部半蔵であったと言われているのです。

 

十分に徳川家に尽くした褒美として、家康から自由を与えられた半蔵は、

全国を旅し俳人として松尾芭蕉を名乗った・・・・・という説が有ります。

 

また、

 伊賀の出身である事。

 芭蕉の一族は代々連歌に秀でた家系であり、

連歌師は情報収集に巧みであったこと。

 旅をしたところのほとんどが、

徳川幕府の外様大名の領地で

当時、偵察の必要な所ばかりであったこと。

 

リス太:時の権力者によって与えられた権利であれば、

全国を旅する事も容易であると同時に、

元忍者であれば一日に数十キロの移動ができたとしても不思議じゃないよね。

 

K君:芭蕉、かっこいー!

 

もし仮に、松尾芭蕉が忍者で有っても
俳句のそのすばらしさはかわりませんよね。