リス太と学ぶ認知行動療法 ~人間の価値とは?~
前回までで、「自分の価値の程度を測ることに意味はあるのか」「自分の特性や業績に自尊感情の基礎を置くことのメリットとデメリットは何か」ということについて考えてきたね。
メリット・デメリット分析や恐れている幻想の技法で、無意識に持っていた自尊感情が非現実的なものだってことがわかったよ。
今回は、「価値のない人間、あるいは価値のある人間というものは存在するのか」についてやっていくよ!
優れた人間や劣った人間ってものがそもそもあるのかどうか、だね?
そうそう、果たして、そういった概念には意味があるんだろうか? 考えてみよう
人間の価値とは
うーん、これまでやってきたことからすると、やっぱり人に価値のあるなしなんてないのかなあ?
でも、良い人もいれば悪い人もいるし、それが同じ価値っていうのもなんだか納得し難いような・・・。
でも、良い人もいれば悪い人もいるし、それが同じ価値っていうのもなんだか納得し難いような・・・。
それじゃあ、今考えてみたらどうかな?
良い行動や悪い行動は存在するけど、良い人間や悪い人間は存在しないんだ。
良い行動や悪い行動は存在するけど、良い人間や悪い人間は存在しないんだ。
えっ?どういうこと?
K君は、良いことをする人間と、悪いことをする人間がいる、っていうように思うんだよね?
うん。だってそうでしょ? ゴミをポイ捨てする人と、人が捨てたゴミを拾い集める人がいたとしたら、悪い人と良い人になるんじゃないの?
確かに、ゴミをポイ捨てするのは悪い行動で、人が捨てたごみを拾い集めるのは良い行動かもしれない。
でも、それは行動の評価であってその人の評価ではないんだよ
でも、それは行動の評価であってその人の評価ではないんだよ
ゴミをポイ捨てしたからその人が悪い人間ってわけでもなければ、人が捨てたゴミを拾い集めたから良い人間ってわけでもないってこと?
そういうこと。もしも、ゴミを拾い集めていた人がその後お酒を飲んで自転車に乗って、それにぶつかりそうになった人をゴミをポイ捨てした人が助けたらどうだろう? どっちが良い人間で、どっちが悪い人間になるのかな?
それは・・・ううん、決められないや。
行動そのものに良い悪いがあったとしても、人はそのどちらかしかしていないわけではないんだね。
行動そのものに良い悪いがあったとしても、人はそのどちらかしかしていないわけではないんだね。
言葉を定義する技法
言葉を定義する技法を使って、さらに考えてみよう。
K君の考える、「無価値な人」の定義を一つ教えて! 「劣った人」や、「悪い人の定義」でもいいよ。
K君の考える、「無価値な人」の定義を一つ教えて! 「劣った人」や、「悪い人の定義」でもいいよ。
じゃあ・・・「無価値な人、あるいは劣った人とは、何事も正しく行うことができない人である」
これでどうかな?
これでどうかな?
それじゃあ、次にその定義のどこかに問題点がないかを探してみよう。
どこか怪しい点や、おかしい点はないかな?
どこか怪しい点や、おかしい点はないかな?
うーん、なにかいい探し方はないの?
それなら、次の3つの欠点に注目してみて!
- その定義はすべての人間に当てはまる。
- その定義はいずれの人間にもあてはまらない。
- その定義は「白黒思考」に基づいている。
何事も正しく行えない人なんているのかな・・・?
どんな人でも、正しく行えることはあるのかも。
どんな人でも、正しく行えることはあるのかも。
それじゃあ、「その定義はいずれの人間にもあてはまらない」ということになるね。
なら、「無価値な人、あるいは劣った人とは、他の人ほど賢くなく、有能ではない人である」
これは?
これは?
ふむふむ。それじゃあ、世界一のテニスプレイヤーがいたとしよう。彼は賢く、有能だけれど、時には負ける試合もある。
そうしたら、試合に負けた彼は無価値な、劣った人なのかな?
そうしたら、試合に負けた彼は無価値な、劣った人なのかな?
うーん、そんなことはないと思う・・・。
そうか、それじゃあ今度は、「その定義はすべての人間に当てはまる」ってことなんだね。
そうか、それじゃあ今度は、「その定義はすべての人間に当てはまる」ってことなんだね。
そういうこと!
他にも、こんなふうに定義に反論することができるよ!
他にも、こんなふうに定義に反論することができるよ!
無価値な人や、劣った人を定義することはできないんだね!
そう!行動を評価することはできても、人の事を価値があるとか、無価値だとかって評価することはできないんだよ。