不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その39 感情に振り回されない~

自分にとって居心地のいい場所を

自分のしたいことを満たしてあげられないと、他人が自由にしているのを妬んでしまうよ。
自分は我慢してるのに、なんであの人は我慢しないんだ・・・って思っちゃうよね。
そうそう。自分を縛ってるものから解放されるために、「~すべき」という思考をしている自分に気づく必要があるんだ。

自分を縛り、他人も縛る。そんな思考から解放されよう


他人の顔色をうかがい、常識の枠を順守して生きる。

この生き方は、「こうすべき・これはしてはいけない」と自分を縛って、とても生きにくいもの。

「頑張らなきゃ」と焦ったり、「こんなことで落ち込むなんて」と自分を責めたり、自分で自分にストレスを与えています。

さらに、「自分はこうしているんだから、他人もこうすべき」と他人をも同様に縛りつけようとしてしまいます。

これでは、世の中がどんどん生きにくい世界になっていってしまいますね。

そんな自分を縛る「すべき・してはいけない」から解放されるためには、まず自分の「本音」を優先的に考えるようにすることが大切です。

「不満」「不快」「妬み」も全部自分

たとえば、正論を言われてしまい、悔しいと感じたとしましょう。

「正しいことを言われたのに、悔しいと感じる」のも自分です。

そんなふうに考えてはだめだ、と自分を責めるのではなく、「悔しい」という不快さを感じたことは間違えてはいない、と受け入れるのです。

また、気の短い人が苦手だと感じていたとしましょう。

「怒られるのも当然なのだから」と自分に負荷をかける前に、「気の短い人は苦手だ」という自分をまずは受け入れましょう。

幸せと感じるのも、不快と感じるのも自分で、その感じ方自体は間違いでは決してないのです。

「怒る」という攻撃に惑わされない

また、怒鳴る、キレる、というのは攻撃です。

怒っていること、言っていることの中身は正論であることも多いもの。

だから「怒られて当然」「指摘も受け入れなきゃ」と自分を責めてしまいます。

しかし、「怒る」というのは攻撃で、自分に不利益になりそうなことがあるから「怒る」ことで遠ざけようとしているのです。

しかもこの「怒り」の感情は連鎖しやすいもの。

怒っているうちに攻撃性が増す言葉になっていくこともあるのです。

「怒鳴る」「キレる」という感情の攻撃をされながら、「それでも相手は正しい」と思うのは難しいでしょう。

また正しいことを言っているからといって、暴力的な言葉をぶつけられていいというものでもありません。

辛いことなら逃げ出すのも手

そんな感情攻撃にさらされているとき、当然「不快さ」を感じるでしょう。

その不快さは感じて当然のもので、「不快だと思ってはダメ」と自分を責めるものではありません。

一方的でこちらにそこまで非がないことであれば「失礼だ」と伝えてもよいのです。

また辛さに耐えているなら「これ以上辛いのは嫌だから、離れたい」というのも正しい選択です。

誰だって、感情的な八つ当たりをされていいものではないし、八つ当たりをしていいものでもありません。

それに、抵抗したり、身を守ったりする権利も、誰もが持っているものなのです。

 

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