不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その45 「当たり前」を疑ってみる~
目次
求められる人生を実現しても、幸せとは限らない
- 「就職先は自分で決める」けど、卒業後は進学が「当たり前」。
- 結婚するのが当然。周りからも求められている。
- 周りが思う「当たり前」のことを、自分もしたい。
「当たり前」を求める自分、周りの人々
自分も周りも「当たり前」に縛られている
私たちは、昔から生産ラインをゆく商品だったのではないでしょうか。
生まれたときからラインに並べられ、「このタイミングで進学」「就職」「ここで結婚」などとパーツを付与される人生を歩いてきていませんか。
もし「進学は嫌だ」「結婚はしない」などとそのパーツを拒否したり、失敗したりすれば、「自分は落ちこぼれ」「欠陥品」と思い込んでしまいます。
自分でそう思ってしまうのが怖いから、生産ライン上の「進学」「結婚」などの「当たり前」を受け入れて、実現するよう努力してきました。
家族や周囲からも「それが当たり前」と望まれていて、「欠陥品」になるのを避けるため、受け入れようとしていませんか。
「これは嫌だ」「これがしたい」という自分の本心を抑えていては、息苦しく、達成感も得にくいものです。
「当たり前」を実現した自分とは
「当たり前」を受け入れ、実現する努力をし続ける人生では苦しいはず。
しかし、もし「当たり前」を受け入れることが苦ではない人生を、自分が歩んでいたとしましょう。
「将来はこうなりたいから進学して、勉強を頑張ろう」と、当たり前の進学、当たり前の就職ができたとしましょう。
職場で相手が見つかり、時期もよく結婚・出産を迎えました。
しかし、それで本当に「幸せ」でしょうか。
仕事がうまくいかない、競合他社に追い抜かれてしまった、喧嘩をしてしまった。
「当たり前」の人生でも苦悩はあるのです。
「当たり前」を実現するほど、「当たり前」を要求される
次に、周りから望まれ「当たり前」を実現したとしましょう。
結婚・出産と順調に進んだとしても、「子供の進学は?」「昇進は?」と周りはどんどん「当たり前」を追加で要望してくるでしょう。
その「当たり前」を実現しようと、頑張り続けます。
しかし、「当たり前」をあなたに求めている人物は、そんな努力は知りません。
あなたに「当たり前」の実現を期待をするのは、何も労力が要らないのです。
息苦しさの原点
「当たり前」を求める・実現を求める人たちでは、「当たり前」以外は受け入れられません。
- 進学より先にやりたいことを探す時間を過ごす。
- やりたいことがあるから休学する。
- 留学をするために貯金が必要で、休学する。
これらは認められないでしょうし、もしやりたいと申し出たところで「失敗したらどうするのか」「うまくいかないだろう」と反論されます。
「当たり前」の実現のため以外に、「応援する」とか「失敗してもいい」「挑戦するのは素晴らしい」とは思ってはもらえないでしょう。
「当たり前」な人生こそ幸せとは限らない
周りが「当たり前」のように進学・就職・結婚・出産・・・としていて、自分はそうではないことに劣等感を感じたり、焦りを感じたりしていませんか?
もし「当たり前」の人生を歩んでいたとしても、その先で苦労や悩みは発生し、「不自由ない」わけではないのです。
それに気づかず、「当たり前」を押し付けたり、求めたり、実現しようとしたりします。
そして求める側は「当たり前のことができているから優越感がある」わけです。
しかし、「当たり前」を排除すると、人生には無限の可能性があるということにも気づいていません。
だからこそ、「当たり前」以外のことが見えておらず、「当たり前」を追い、周りにも求めるのです。
「当たり前」に縛られているということは、ほかの可能性が無数にあるのに、それらの可能性に気づいていない、可能性を狭めているということでもあるのです。
自分の中の「当たり前」に気づけているかな。