未来は”見えない”。でも「頑張れば幸せになれる」と信じるワケ
- 幸せになるには、耐え忍ぶ必要があると思う。
- 頑張っていれば、いつか未来が開けるだろう。
- 苦しみも、いつかは終わる。
同様に、幸せも長くは続かない。
でも、幸せを手に入れるためにわざわざ苦しい「我慢」をする必要はないよ。
幸せになるための「我慢」とは
楽しいことと、苦しいこと
苦楽はよく対比されます。
苦しい時期もあれば、楽しい時期もある。
これは事実でしょう。
悲しみ・苦しみの時期だけでもなければ、幸せや喜びばかりというわけにもいかない。
今耐え忍んで努力をすれば、未来がいつか明るく開けてくるだろうから、苦しくても我慢すべき。
幸せのあとの寂しさが怖い、いつまでも続くわけじゃない。
幸せな時期が、「楽」があれば、そのあとは辛い・苦しい時間も来る。
というのが、私たちの思い込みです。
「苦しい」の始まり
古くからあることわざ、慣習によって、私たちは「耐え忍ぶ」「我慢」を身に刷り込まれています。
我慢をして頑張っていれば、いつか幸せになれる。
しかし一方で、近道や楽な道、怠惰を選べば、その先は不幸になる。
だから、幸せになるために、私たちは苦しいのを我慢すべきなんだ。
昔からこのような考えを心に刷り込まれていれば、幸せな時間は無限に続くわけがないと思ってしまいますし、
幸せを手にしても、今度は幸せを失うのが怖くなります。
だから幸せそのものを恐れるようになり、自分や未来、周りの人を信じられなくもなっていきます。
苦しい・悲しいということと、楽しい・幸せなこととは、なぜか対比し、両方交互に訪れるのが必須、と思い込んでいます。
それでも「幸せになりたい!」事実と理由
しかし、人は「楽しい・幸せだけがほしい」と望みます。
苦しみや悲しみが嫌なのは当然ですね。
「苦しみのあとには幸せがある」と願いつつ、「幸せのあとには苦しみが」と思い込んでいるからこそ、幸せだけを欲します。
苦しいのは嫌だから、幸せだけがほしい。
傲慢なようですが、苦しみは誰だって嫌なもの。
幸せのあとの苦しみは嫌だからこそ、幸せだけを私たちは求めているのです。
幸せそうな「あの人」の背景
そして、幸せだけを実現するためには、自分の感情・本心に従う、ということだけが必要なのです。
たとえば、あなたの理想とする人、憧れる人は、どんな人でしょうか。
きっとあなたの理想とする人・憧れる人とは、彼女・彼らなりの理想・憧れを抱いて追いかけている人なのではないでしょうか。
その彼ら・彼女らは、そんな毎日を「辛い」とか「今は耐え忍んで」「我慢をすればそのうち・・・」と考えているのでしょうか。
むしろ、我慢をせずに、全力で追いかけ、挑むことができている人なのではないでしょうか。
その姿が、まぶしく、楽しそうで、憧れているのではないでしょうか。
その人たちは、自分の本心にしたがい、自分が「したい」ことを追いかけています。
他人の「すべき」を自分にあてはめるのではなく、自分の「やりたい」「やりたくない」を軸に行動しましょう。
必要なのは「我慢」ではなく、自分の本心に従った行動です。
いま、休みたいのではないでしょうか。
いま、食事をとりたいのではないでしょうか。
自分の心に問いかけてみて、心がしたいと思う方の行動をしましょう。
それだけで、幸せをひとつ手に入れ、憧れの人・理想の人の姿に近づくことができます。