不安から自分を解放してあげる処方箋 ~その58 幸せになるのは怖くない~

未来は”見えない”。でも「頑張れば幸せになれる」と信じるワケ

  • 幸せになるには、耐え忍ぶ必要があると思う。
  • 頑張っていれば、いつか未来が開けるだろう。
  • 苦しみも、いつかは終わる。
    同様に、幸せも長くは続かない。
確かに、頑張っていれば、そのうち努力は実ると思うんだ。
それは確かにあると思うよ。
でも、幸せを手に入れるためにわざわざ苦しい「我慢」をする必要はないよ。

幸せになるための「我慢」とは

楽しいことと、苦しいこと

苦楽はよく対比されます。

苦しい時期もあれば、楽しい時期もある。

これは事実でしょう。

悲しみ・苦しみの時期だけでもなければ、幸せや喜びばかりというわけにもいかない。

今耐え忍んで努力をすれば、未来がいつか明るく開けてくるだろうから、苦しくても我慢すべき。

幸せのあとの寂しさが怖い、いつまでも続くわけじゃない。

幸せな時期が、「楽」があれば、そのあとは辛い・苦しい時間も来る。

というのが、私たちの思い込みです。

「苦しい」の始まり

古くからあることわざ、慣習によって、私たちは「耐え忍ぶ」「我慢」を身に刷り込まれています。

我慢をして頑張っていれば、いつか幸せになれる。

しかし一方で、近道や楽な道、怠惰を選べば、その先は不幸になる。

だから、幸せになるために、私たちは苦しいのを我慢すべきなんだ。

昔からこのような考えを心に刷り込まれていれば、幸せな時間は無限に続くわけがないと思ってしまいますし、

幸せを手にしても、今度は幸せを失うのが怖くなります。

だから幸せそのものを恐れるようになり、自分や未来、周りの人を信じられなくもなっていきます。

苦しい・悲しいということと、楽しい・幸せなこととは、なぜか対比し、両方交互に訪れるのが必須、と思い込んでいます。

それでも「幸せになりたい!」事実と理由

しかし、人は「楽しい・幸せだけがほしい」と望みます。

苦しみや悲しみが嫌なのは当然ですね。

「苦しみのあとには幸せがある」と願いつつ、「幸せのあとには苦しみが」と思い込んでいるからこそ、幸せだけを欲します。

苦しいのは嫌だから、幸せだけがほしい。

傲慢なようですが、苦しみは誰だって嫌なもの。

幸せのあとの苦しみは嫌だからこそ、幸せだけを私たちは求めているのです。

幸せそうな「あの人」の背景

そして、幸せだけを実現するためには、自分の感情・本心に従う、ということだけが必要なのです。

たとえば、あなたの理想とする人、憧れる人は、どんな人でしょうか。

きっとあなたの理想とする人・憧れる人とは、彼女・彼らなりの理想・憧れを抱いて追いかけている人なのではないでしょうか。

その彼ら・彼女らは、そんな毎日を「辛い」とか「今は耐え忍んで」「我慢をすればそのうち・・・」と考えているのでしょうか。

むしろ、我慢をせずに、全力で追いかけ、挑むことができている人なのではないでしょうか。

その姿が、まぶしく、楽しそうで、憧れているのではないでしょうか。

その人たちは、自分の本心にしたがい、自分が「したい」ことを追いかけています。

他人の「すべき」を自分にあてはめるのではなく、自分の「やりたい」「やりたくない」を軸に行動しましょう。

必要なのは「我慢」ではなく、自分の本心に従った行動です。

いま、休みたいのではないでしょうか。

いま、食事をとりたいのではないでしょうか。

自分の心に問いかけてみて、心がしたいと思う方の行動をしましょう。

それだけで、幸せをひとつ手に入れ、憧れの人・理想の人の姿に近づくことができます。

 

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