卒業された方から卒業論文をいただきました!

通所開始から就職後までの振り返りをしてみていただきました!

ご本人様よりブログへの掲載許可をいただけましたので、こちらに掲載します。

どのようなことでお悩みだったのか、どのようにして就職を実現されたのか、ぜひご覧ください!

はじめに

3年前の私は、文字通り真っ黒なトンネルの中にいました。

これからどうやって生きていこうか。
どうすれば生きていけるのか。

全く見通しが立たず、生きていく自信をなくしていました。

リスタートに通った1年は、そんな自分を改めて見つめ直し、再構築した1年でした。

以前の私と同じように、
・苦しみ、もがいている人。
・今もこれからも、どうすればいいのか分からない人。
・このままではダメだと(なんとなく)気づいている人。
是非、リスタートの門をたたいてみてください。

1.リスタートに通う前の自分

①こども~学生時代

小中高と近郊の学校を卒業しました、
とりたてて優秀な学校に通っていたわけではなく、どの学校もごくごく「普通」レベルの学校でした。

高校卒業後は、2年制の専門学校へ入学。
大学に行く意思も(お金も)なく、特になりたい職業があったわけでもなく、何となく選んだ学校でした。

総じて、学生時代の私は「やる気があるのか無いのかよく分からない」学生だったと思います。

②社会人以降~

専門学校卒業後は、早稲田の小さな編集プロダクションに入社。
自社出版の編集、校正、進行業務に携わり、残業続きの毎日でした。
仕事としてはやりがいがあったのですが、あまりの残業の多さで体が先にダウン。
両親の説得と反対もあり、1年半で退社。

その後は、印刷会社に転職した後、派遣会社に登録し、いろいろな企業で就業。
いつの間にか、正社員で就労していた時間より、派遣社員で働いていた時間のほうが長くなっていましたが、
「時給によって給料がかなり高くなる」
「好きな時に好きな時間だけ働ける」
そんなスタイルが自分には合っているように思え、ズルズルと派遣社員歴が長くなっていきました。

③50を目前にして焦りだす

自由気ままに派遣社員として働いてきたわけですが、50歳が近づくにつれ、「このまま派遣社員で一生働くのか…?」と、急に不安になります。
派遣社員時の私は、webデザイナーとして就業しており、仕事をやめてもコーディネーターさんがすぐ次の仕事を紹介してくれたので、幸い食い扶持に困るようなことはありませんでした。

しかし、50、60と年齢を重ねた時、今と同じように仕事を紹介してくれる保証はない…。
どう考えても気づくのが遅すぎですし、仕事を続けながら転職活動をすればよかったのですが、とにかく焦っていた私は、6年半派遣社員で働いてきた勤務先との契約を解除。
40後半の歳になって、転職活動を始めることになりました。

そして、ここからゴロゴロと転落していきます。

④失敗続きの転職活動、そしてうつ病に

転職エージェントやハローワークを通じて、転職活動を始めたわけですが、当然のことながら現実を突きつけられます。

「スキル・経験不足と年齢の壁」

40代後半と言えば、既に役職についていてもおかしくない年齢です。
そんな世間の一般常識も知らず、webデザイナーとしていろいろな企業へ応募していました。
結果は、ことごとく不採用。

最初の頃は「なんかなるだろう」と思っていた私も、ハローワークの給付金がいよいよ切れる3か月ほど前ぐらいになると、さすがに焦りだします。

次第に、
「このまま働ける職場が見つからないかもしれない」
「こんなにも不採用が続いて、自分はなんてダメな人間なんだろう」
「このまま生きていても良い事なんてない」
という思いが頭を占めるようになっていきます。
そして、次第に体と心が動かなくなっていきました。

精神科の看護師をしている妹が、「これはおかしい」と気づいてくれたおかげで、ようやく精神科受診。

その場で下されたのは「うつ病」という診断でした。

⑤うつ病と診断されてから

まさか自分が「うつ病」なんて。

という思いで頭がいっぱいでした。

死にたいという気持ちはありませんでしたが、
「このまま消えてしまったら楽だろうな」
という気持ちは、ずっと心の隅にありました。

そんな中、通院していた精神科の先生が、
「就労移行支援というところがあるので、そこへ通ってみては」
と勧めてくれました。

その当時、頭も体も動かすのが本当にしんどい状態でしたが、このままではますますダメになる、と思い、いくつかの就労移行支援事業所に連絡を取りました。
そして、体験もできるということだったので、いくつかの事業所で体験させてもらいました。
リスタートは、そのうちのひとつだった、ということになります。

ちなみに、ほとんどの就労移行支援事業所では、体験通所をさせてくれると思います。
事業所ごとに全く雰囲気が違いますし、プログラムの内容も異なるため、可能な限り体験通所はした方が良いと思います。

リスタートのどこに惹かれたのか、いまはもう覚えていないのですが、認知行動療法に興味があったのと、通所した時の固すぎず、かつ柔らかすぎない雰囲気が良かったからだと思います。
こうして、リスタートへの通所が始まりました。

2.リスタートに通う前の自分

①通所開始時の体調

うつ病ではありがちなことですが、とにかく朝起きるのがめちゃくちゃしんどい状態でした。
当時、妹宅に居候させてもらっていたのですが、そこで飼っている犬の散歩を任されていなかったら、朝起きられない生活がズルズルと続いていたと思います。
そのようなこともあり、最初は午後からの通所でスタートし、徐々に朝の通所に切り替えていきました。

そして、常に頭痛に悩まされていました。
念のため、頭痛外来を受診しましたが、肩こりからくる緊張性頭痛との診断。
毎日軽いストレッチなどをしていましたが、通所していた9割くらいは頭痛を訴えていたと記憶しています。

また、所長の勧めもあり、障害者手帳の申請をしたのもこの頃でした。
「自分が障害者…」という躊躇と動揺が全くなかったわけではありませんが、手帳を持っていることで、オープン、クローズと選択の幅が増える、かつ、持っていてデメリットになることは何もない、とのことで申請。
現在、精神障害3級の手帳を取得しています。

②プログラム「新聞読解」

スタッフの方が用意した新聞記事を読み、利用者全員が感想を述べるプログラムです。
社会人になってから、自分の考えを発表する場も、反対に他人の意見を聞く機会もほとんどなかったので、頭を活性化させる朝イチのプログラムとしては、とても良かったと思います。
他の利用者さんの違った視点に、ハッとさせられる事も多かったです。

③プログラム「認知行動療法」

私が集中的に受講していたのが「認知行動療法」講座でした。
とにかく「自分はダメな人間なんだ」という意識が強かったのと、それでいて、自分が納得するまで物事をやらないと気が済まない性格だったので、この凝り固まった考えを変えるのはなかなか大変な作業でした。
「べき思考」や「白黒思考」などの「認知の歪み」から、ステップを踏み、「適応的思考」まで持っていくための考え方は、自分に当てはまるものばかりで本当にためになりました。

ただ、そこからの脱却は今でも十分にできているとは言えません。
気づけばネガディブな思考に陥ることがありますが、マイナス思考をできるだけ適応的思考へもっていこうと試みたり、「もう少し肩の力を抜いてみよう」と考えるきっかけになっています。

④プログラム「就活対策」

派遣社員歴は長いけれど、それまでの私は、いわゆる「ビジネスマナー」的なことを一切やらない仕事ばかりしていました。
「就活対策」は、電話応対の練習をはじめ、名刺交換のマナー、「PREP法」を用いた相手に伝わりやすい話し方など(就労後、実際にやる機会はなくても)とても勉強になりました。

⑤サポーター制度

私が通所していた当時のリスタートには、「サポーター制度」がありました。
自分が得意としているジャンルのプログラムを、スタッフさんの補助役として進行していく係、のようなものでした。

当時は「WEB制作講座」があり、Webコーディングは、派遣時代にも仕事として扱っていましたので、私もサポーターとして参加させていただきました。
結果的に、このサポーター制度が自信回復に一役買ってくれていたな、と感じています。

⑥昼食

リスタートでは、昼食を無料で提供してくれています。(使用者さんの前年収入によって違う場合もあります)
通所している間は当然収入がないので、昼食をいただけることは経済的な面でも大変ありがたかったです。
黒くて大きなテーブルを囲み、昼食を食べながら、利用者さんと前日見たドラマの感想などをワイワイ話したり…。
当時、他人と話す機会がほとんどなかった私にとって楽しい時間でした。

⑦資格費用援助制度

リスタートには、ExcelやWordのMOS試験を受けるための費用を援助してくれる制度があります。
パソコンを使用することには慣れていましたが、Officeソフトはほとんど触れたことがなかったので、通所している間にMOS資格を取ってしまいたいと思っていました。
PC講座や個別の時間は、テキストをお借りして集中的に勉強し、その甲斐あって、MOS Excel、Wordのスペシャリストの取得することができました。
この成功体験も、「ダメな自分」という思考から抜け出せたひとつのきっかけになったと感じています。

3.実習面談会~就職内定

①実習面談会

通所から半年ほど経ち、生活リズムが安定してくると、スタッフの方から「実習面談会に応募してみないか」と声をかけて頂きました。
実習面談会は、障碍者の方を対象にした、合同面談会で、この面談をクリアすると企業実習に臨めます。
スーツを着るのも久しぶりですし、何より普通の面接と内容は同じなので、とにかく緊張しました。

私は緊張するとつい早口になってしまうので、
「なぜうつ病になったのか」
「なぜこの企業の実習に応募したのか」
「配慮して欲しいことは何か」
また、精神3級の手帳を取得していることなどを、スムーズに返答できるよう心がけました。
実践できていたかどうかは覚えていませんが…。

②企業実習、そして内定へ

リスタートを卒業するまで、私は2社の企業実習させて頂きました。
1社目がデータチェック、2社目はDTPとVBAで簡単なプログラムを組む実習でした。

2社とも、指導員の方、また社員の方たちがとても親切にしてくださり、緊張はありましたが、目の前に業務に集中できるよう配慮いただいていたと思います。
立て続けの実習だったため、疲れはありましたが、毎日が充実していて、この頃からようやく「自分でもなんとか仕事していけるかも…」という自信が出てきたように思います。

そして、2社目に実習させていただいた企業から内定をいただきました。

4.就業を始めてから

①残業が続いた時の配慮

配属された部署は、いわゆる「なんでもやる」部署でした。
しかも、配属してすぐの頃は、体調をくずされて休職されている方が多く、かつ期限が短い業務が立て続けに入り、入社間もない私も残業をせざるを得ない状況でした。
通勤時間もそこそこ長いため、1週間ほど経つとかなり疲労が溜まり「しんどいな」と感じる日が多くなりました。

以前の私であれば、このまま我慢して残業を続け、体調を崩すパターンだったのですが、直属の上司に体調がすぐれないことを申告。
全く残業がなくなったわけではありませんが、早めに退社できるよう配慮していただきました。

この「配慮」があることが、障害者雇用の一番のメリットだと思います。

②失敗した時の思考の切り替え

入社して半年ほど経った頃に、学籍簿電子化のために約1か月、外部へ出向していた時がありました。
photoshopを用いてスキャンデータの整形作業を担当したのですが、初日に設定した切り抜きサイズや明度の値が間違っており、3日分データを全てやり直すことになってしまいました。

この「失敗」にひどく落ち込みましたが、こんな時こそ「適応的思考」に切り替えるべきなのだと自分に言い聞かせました。
「自分の作業量は増えたものの、他の人に影響がなかった。」
「締め切りまでには十分時間があった。」

リスタートで認知行動療法を学んだ事が実践できた一例だったと思います。

5.終わりに

リスタート最初の面談で今でも覚えている言葉があります。
「人は変わろうと思えばいつでも変われる」
通所当初、そこそこの年齢だった私は、正直「人間なんてそうそう簡単に変われない」と思っていました。

ですが、認知行動療法で学んだ、「違った視点」、「違った考え方」は、それまでの私の凝り固まった物の見方を広げてくれました。
そう感じた時点で、私は「変わった」のだと思います。

寄り道になったかもしれませんが、このような機会を与えてくれたリスタートには「感謝」という言葉しかありません。
スタッフの皆さん、1年間本当にありがとうございました。