リス太と学ぶ認知行動療法 ~健全な自己受容と不健全な自己受容~

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さて、前回は、受け入れの逆説についてやったね。
うん・・・でも、ちょっとまだ、受け入れの逆説について理解しきれてないかも。
それは仕方ないよ。自己受容の考え方とは大きく違うものだしね。
受け入れの逆説が、うつ状態にある人をどうやって助けることができるのか、もう少し説明してもらえないかな?
もちろんいいよ!それじゃあ今日は、受け入れの逆説をするにあたって大切な、健全な自己受容と不健全な自己受容について話そうかな。

 

健全な自己受容と不健全な自己受容

健全な自己受容と不健全な自己受容って、どんな違いがあるの?
ここでは、3つの重要な違いについて説明していくよ!

具体的な欠点のみを受け入れる

まず最初の違いは、健全な自己受容で受け入れるのは、具体的な欠点があるという事実のみである、ということだよ!
それじゃあ、受け入れない欠点もあるんだね。
例えば、自分は全体的に、完全に価値がない人間だ、と考えているのであれば、それは受け入れず、拒絶する必要があるんだ。
自分は欠陥人間だ!みたいな考えもそうかな?
そうだね。そのような、強い非難を伴い、思いやりに欠けた否定的思考は、成長に繋げることができないんだ。
うーん、それじゃあ、どんなふうに受け入れていけばいいんだろう。
こんな場合には、「私は数多くの欠点や不十分な点のある人間だ」ということを受け入れられるといいんじゃないかな。
そうか、すべてダメだ、と考えるのではなく、実際にダメだと思っている例を挙げて、そのひとつひとつを受け入れるようにするんだね。
そう、この考え方なら、正直で、現実的で思いやりにあふれた、合理的な思考と言えるはずだよ。
具体的な欠点については、たくさんあってもそれぞれを受け入れるけど、より大きな、全体的な欠点は受け入れないようにするんだね!

自尊の心を持つ

2つ目の違いは、自尊の精神を維持するということだよ。
自尊の心?
自分の欠点を、受け入れがたくて、非難に値するものとしてみなしてしまっていたとしたら、それは不健康な自己受容なんだ。
希望や寛容がなくて、成長できないっていうことだね?
そうそう! 健全な自己受容では、不十分なことがたくさんあることは承認しても、自分が無価値なものと考えることは拒絶するんだ。
ええと、欠点はあるけど、大丈夫、人間であるんだから当然だ!っていう感じで考えるってことかな。
いい感じだよ! 自分の欠点と戦って、自分を傷つけるんじゃなくて、人間らしさとして受け入れて祝福するんだ!

健全な自己受容によって変化する

最後の違いはなにかな?
それは、「変化」だよ
変化?
そう。ここまでの2つの違いでも触れたように、健全な自己受容には、個人的な成長をもたらすことが期待できるんだ。
ということは、不健全な自己受容の場合には変化が起きないんだね。
そうなんだ。自分が不適格であると考えて、自分を批判することにエネルギーを使っても、何も変わらないでしょう?
自尊感情を失わずに自分の欠点を受け入れることで、変化するための多くのエネルギーやモチベーションを得ることができるんだね!

 

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